2021.6「特等席」まつい穣

「今日、俺は特等席に座ったんだよ!」
「ずっと窓の外を見ながら授業を受けていた!」
三男のクラスには特等席があるらしく、そこには選ばれし者が座れるらしい。
特等席は先生の目の前にあり、しかも外の景色が見られるようだ。
別の日、
「今日は、○○くんが特等席に呼ばれたんだよー!あいつは2回目!」
楽しそうに話す三男。どうやら、特等席は日替わりのようだ。
詳しい話を、三男やその友達たちに聞くと、
「この前は算数の授業で、『それ、わかった~!』と大きな声で言っただけで、首根っこ掴まれて、廊下に出されたよ~。」
「その前は、○○くんが大きな声出しただけで廊下に出されていた!」

今の時代でも、廊下に出させるという昭和な指導もあるものなのだと、明るく話をする2年生たちの話を半分面白くも思うが、くりーふでは「できた!」と大きな声で言うことは良いことでもあり、教師としては喜ばしいもの。しかし30人クラスの学校では「できた!」と達成感を大声で表現することも迷惑になるので許されないようだ。

話は変わるが、中学校のバスケ部では、ようやく3年生の引退大会でもある総合体育大会が行われた。コロナ禍、この世代は練習試合すらほぼ出来ておらず、生徒たちからすると念願の試合であり、思い出に残る大会。しかし、ある中学校の男子バスケ部員数名が、控室で食事が禁じられていたのに食事をしてしまい、1、2回戦出場禁止を命じられたようです。3回戦は勝敗がかかったためか、途中出場できた様ですが、何とも残念な大会スタートになりました。

どの時代にも罰があるものですし、罰の種によってはあってよいと思う。しかし、その種類が“廊下に立たせる”、“前を向かない”、“出場させない”という授業や試合という本質の機会を取り上げるというものはどうかと思う。先生の決めたルールの基準はさておき、罰を与えないと教育ができない指導力にも疑問が残る。
食事を禁じられた場所で、食事をしたことはいけないことです。ルールを守らず大きな声で「できた!」ということも悪いのかもしれない。でも、そこは説教で子どもたちを反省させて教育してほしい。廊下に立つと授業そのものを受けられないわけであって、せめて授業に参加しながら受けられる罰はないものかと思う。

Culeafまつい