2018.7「ほぼほぼ、一生使わない」

「溶岩とマグマの違いってわかる?」

中一の長男が初の期末テストに備えて、勉強をしている。

「ん〜。なんだったかな。忘れたわー。どう違うの?」

「塾の先生なのに、そんなこと知らないの?」

少しカチンときた私は、

「一所懸命勉強しているところ申し訳ないが、そんな知識は、大人になって、ほぼほぼ、一生使わないからな。」

と言い返してしました。

 

しかし、これは感情的になって言っただけではなく、私が普段から今の学校教育に関して思っていることです。戦後70年が経ち、一家に一台パソコンがあり、インターネットが普及し、仕事内容も変わり、求める人材も変わったにも関わらず、なぜか学校教育は大きく変わらない。子どもたちの問題集を見ても、まだゾウリムシとミドリムシがどちらかを問うものや、玄武岩や流紋岩、安山岩を漢字から覚えないといけないものなどがある。もちろん、教育は不変的でなければいけないものもあり、また、知識はないよりあった方が良いのは事実です。しかし、知識偏重型から知識活用型に変わらなければいけないと言われて少なくとも数年は経っています。学校の先生も何かに縛られて授業を行わないといけないのもわかりますが、ゾウリムシやミドリムシの違い、玄武岩や流紋岩の違いを覚える時間があったら他の学習に時間をさいてほしいと思うのは私だけでしょうか。

ちなみに、長男は期末テストで、玄武岩の「武」の跳ねるところを跳ねて書いていなかったために×だったようです。それは国語の問題であり、理科の習熟度を測る採点としては少々厳しすぎるようにも感じます。

 

長男は塾には行っていませんが、周りの友達の話を聞くと部活の後に塾に行き、塾から帰り学校の宿題と塾の宿題を済ませると寝るのが12時を超えることも多いようです。身体が大きくなる人生で最後のこの期間に、有意義な学習で成長や健康にハンデを追うのであればまだしも、知識偏重型の教育で、子どもの成長や健康を害するのはやめてほしいものです。

 

「一平、魔王の作曲者はだれだか覚えている?」

音楽のテスト当日、妻から抜き打ちの質問。

「え〜っと、あれ、なんだっけ・・・  シートベルト」

またまた朝から家族大爆笑。それでは身体を守れても、品格は守れない。

ある程度の知識は必要ですね。

 

Culeafまつい