2019.7[感謝の言葉]

「感謝」と聞くと思い浮かべるのは、「ありがとう」の言葉。「ありがとう」の言葉には心が温かくなり、自然と笑顔が溢れる不思議な力を持っていると思います。誰かに優しくされた時、海外では、ThankyouやMerciと返します。しかし、日本では「すみません」と頭を下げてしまう習慣がついています。実際に私も「すみません」が口癖になってしまっていると感じます。
「すみません」と「ありがとう」は同じ使い方の言葉ですが、受け取る印象は全く違います。「すみません」と聞くと、どことなく心が沈む印象を受けますが「ありがとう」と言われると照れくさいような、嬉しい気持ちになるような気がします。「すみません」の言葉を「ありがとう」に言い換えるだけでだいぶ印象が変わります。

私には、「ありがとう」の言葉を伝えたかった人がいます。
私が進路や上京で悩んでいた時も「自分の生き方だから」と温かく見守ってくれ、口数は少ないけれどいつも家族の幸せを願ってくれている頼りがいのある父です。私にも思春期や反抗期もあり、直接話をすることを“恥ずかしい”と思う時期もありました。そのもどかしさと、どうしようもできなく、ただもがいていたのが五年前の冬です。普通に過ごしている日常の中で私にかかってきた一本の電話は、
「お父さん、癌なんだって…。」
という、母親の小さな声でした。すぐに実家まで車を走らせ、息をきらす私に、父は、
「謙太、おかえり!酒でも飲むか!」
と、いつもと変わらない父親の姿がありました。“癌だ”という母親からの電話は嘘なのではないかと思いましたが、お酒を取りに行く母の背中はいつもより小さく、震える様子から涙を流していることが分かり、これは嘘ではないんだと実感しました。
「おとう、癌なんだわ。家族のこと頼むな。」
そう、笑顔で私の肩を掴む父の手はぶるぶると、私に伝わり、その震えが伝わる度に、我慢していた涙が零れ落ちました。それと同時に、癌の進行が進んでいることも感じ取られました。
それからすぐに、専門的に治療をしている大きな大学病院へ入院することになりました。お見舞いに行くと、どうやって家族を笑わせようとおどけてみたり、心配をかけまいと気丈に振る舞う父を見るたびに心がきゅっとしました。
腫瘍が大きく、すぐには手術が出来ず、抗がん剤や放射線治療を繰り返し、日に日に弱っていく父。農業で鍛えられた逞しい腕も子どもの腕のように細くなっていきました。それでも父は変わらずに家族のことを一番に考えています。そんな父に、私は目を合わせることもできなくなっていきました。
治療を始めて半年、無情にも父の癌はリンパに転移していた為、脳や全身に転移し手の施しようがありませんでした。
「家に帰って、昔のようにみんなで母ちゃんの作る冷や麦が食いたいなぁ。」
そういう父の願いを叶えるため、母親が看護師、兄が介護師ということもあり、実家での治療を行うようにしました。私もできるだけ父との時間を作る為、一人暮らしの家を離れ、実家から仕事に通うことにしたのです。
仕事でどうしても家に帰れず、その日は会社に泊まることになった日の事です。母からも、「お父さんは安定しているし、頑張っておいで。」と送り出してもらいました。そんな中、夜中に携帯が鳴り、姉から泣きそうな声で「お父さんが危ない!」と言われ、急いで病院へ向かいましたが、父と最後に会うことが出来ず、父に何も伝えることができず、ただただ声を出して泣くだけでした。
闘病生活の中でも「ありがとう」を伝える機会はあったはずなのに。気恥ずかしさや、これを言ったら目を閉じてしまうのではないか、もっと生きてほしいという願いもあり最後まで「ありがとう」と感謝の言葉を伝えることが出来ませんでした。父の葬儀の日、伝えきれない「ありがとう」を手紙に書きました。その時の悔しさや後悔は二度と経験をしたくないし、可愛い子どもたちにも経験をさせたくありません。
 「ありがとう」の感謝の言葉ももちろんですが、自分の気持ちを言葉にすることは大切なことです。“好きだよ”と思っていても、やはり言葉にされると嬉しいものです。直接相手に伝えられることの幸せ、そして、今しか言えない“想い”を声に出す大切さを子どもたちに伝えていきます。

くりーふ  桃 謙太