2020.2「おまけ」

「もしもし、そうたです。」

「久しぶりだなー。どうした?」

くりーふに6年生まで通い、今は中学3年なったそうたから電話があった。私の携帯にはすでに登録していたので、そうたからの電話だとすぐにわかった。

「あ、あのー。一応、一校受かりました。」

「おお〜!そうか、よかったな〜。わざわざ報告ありがとうな。嬉しいよ!」

「あ・・・はい・・・。」

私の高いテンションに合わせることなく、思春期特有の低いトーンで、ぼそぼそと話すそうた。でも、私にはそんな大人になったそうたがわざわざ報告してくれたことが余計に嬉しかった。どこに受かったかは聞かなかったし、そんなこと関係なかった。

 

話は変わりますが、私は最近、日曜劇場の「テセウスの船」とうドラマを観ています。その第一話に印象に残ったセリフがあった。賑やかに3人の子育てをする警察官のお父さんが温泉に入りながら言った一言。

「家族と笑っていられたら、それ以外は“おまけ”」

親としてなんて原点回帰できる言葉なのだろうと、“おまけ”が心に深く染み込んだ。

 

親としては、学業の成績や、スポーツや習い事の戦績や結果が気になり、ハラハラ、イライライもすることもあるし、ひょっとしたら子ども自身より親が一生懸命になっていることもある。ただ、そんな事は人生の“おまけ”でしかないと思わないといけないのです。子どもが笑って過ごせていたら100点。親としても100点です。むしろ、子どもたち家族が笑っていないのに、成績や戦績、結果ばかり気にしていても奇妙な話です。

今回の件も、そうたがどこの高校に受かったかなんて“おまけ”でしかないのです。勉強嫌いだったそうたが、勉強に関わることを報告したこと自体が主なのです。

今月から受験結果がたくさん出てくる時期。親としても子ども自身も、一生懸命してきたことだから、ハラハラもすると思うし、喜びもあれば、悔しさあるでしょう。だから軽視することは決してできませんが、それは人生の枠で考えた場合、あくまでも“おまけ”の部分あることを忘れないようにしたいですね。

そんな結果より、家族で笑って過ごせていること、人に感謝する心、が主であります。

お菓子についてくれる“おまけ”は楽しみだったしょう。だから“おまけ”は“おまけ”として楽しめばいい。“おまけ”のために、主を捨てるようなことなど決してないように、親として肝に命じたいですね。

Culeaf まつい