過去コラム

2019.10「他人の子を叱れますか?」

先日、光が丘体育館でミニバスの練習試合がありました。ミニバスでは保護者の引率義務があり、6年の長女と4年の次男が所属するチームは6年保護者が引率する慣わしがあり、その日は妻が女子の引率。私は下の子二人を連れて、久々に長女次男の成長を観ようと光が丘体育館まで足を運びました。
到着すると、ちょうど女子の試合。ギャラリー席には男子メンバー。しかし、男子メンバーは女子を応援することもなく、試合を観ることもなく、ケラケラと笑い声を上げたり、歌を歌ったり、挙げ句の果てには「fuck you!」と叫び笑っている子もいます。男子チームは昨年まで2年間、練馬区で優勝するなど区外からも注目されるチーム。ここまで代替わりして文化が変わるものかとショックを受けながらも、私は男子チームの中では所詮4年生の保護者。6年生の保護者を差し置いて彼らを注意するのも出しゃばりかと思い、静観していましたが、5・6年生の保護者も注意しないまま試合が終わりました。
「あ、もう女子試合終わったんだー。どっちが勝ったの?」
「次は男子の試合だぞー。あ!俺ユニフォーム着替えてなかった!わはははは!」
 こんな状態で男子の試合前のウォーミングアップが始まりました。まずはレイアップシュートを打つアップですが列を成していないどころか、3ポイントラインからボールを野球の様に投げる子もいて、まるで小学校の中休み。他のチームにも見られています。変わり果てたチームに落胆し、同時に怒りがこみ上げてきました。
「あまりにひどくないですか?なぜ注意しないのですか!?」
試合後、6年男子の引率保護者に私も詰め寄りました。
「私たちも何度も言っているのですが、彼らが聞かなくて。」
と、お母さん達も成す手がない様で、どこか諦め模様。近くにいた5年生のお父さんにも
「なぜ叱らないのですか?」
と聞いても、
「ああ、、、うう・・・」
と、どうしたらよいか分からない反応。
なぜ、ここまで大人が叱ることをためらっているのか理解に苦しんでいるとき、女子チームの引率だった妻から、
「あなたが叱ってよ!」
と背中を押され、結局、私が出しゃばり、保護者代表で男子全員を集め、数分間説教することになりました。また、堕落した練習の様子も録画したのでYouTubeにあげて全体LINEに流し、保護者全員に共有と家庭教育をお願いしました。当然、私の行動に反発する人も出てくると覚悟の上でしたが、反省や賛同をして連絡をくれたのはたったの3名のお父さん。私が小さい頃は、近所のおじさんおばさんによく叱責されました。親も我が子が他人から叱責されることにも慣れていました。現代は、他人の子を叱責できる大人が少なくなり、他人に我が子を叱責されることに抵抗を持つ大人も多くなったのでしょうか。情けない。私はその子のことを思ってこそ、叱れます。叱らずに育てる?そんなの無理です。叱らずに子育てなど出来ないのです。

くりーふ まつい

2019.9[一粒のお米には七人の神様がいる]

(米)という漢字は、八十八と書きます。なぜこの様な漢字になったかと言うと、昔お米を作るまでに88行程の作業があることから、その行程を用いて、(米)という漢字が生まれたと言われています。
私の実家は農家であり、先日、我が家でも稲刈りを終え、新米が仕上がり、広い田んぼを前に、秋の実りを実感しホッとしていました。いつも変わらないこの風景を見ていると、幼いころのことを思い出しました。
私の家は、両親が共働きだったこともあり、祖母が食事を作ってくれることが多くありました。私は末っ子であり、どんな時も「謙ちゃん、謙ちゃん。」と優しい祖母ですが、そんな祖母にも末っ子パワーが通じないことがあります。それは、ごはん茶碗に一粒でものお米がくっついている時です。
「一粒のお米には七人の神様がいるんだよ!」
「お米を残したら目がつぶれるよ!」
と、少し怖いことも良く言い聞かされていました。近くで農作業をする姿を見ていたからこそ、幼心に“お米を粗末にしてはいけない”とは分かっていても、「七人の神様がいるって、七福神のことかな?だったら会ってみたいな!」など、当時は祖母が伝えたいこととは全く別のことを考えていましたし、祖母の想いを知ろうともしていませんでした。

そんなことを思い出しては微笑んでいると、ちょうどそこに祖母がいたので、この話をすると、祖母も笑いながら、理由があって私に言っていたと、話してくれました。
「一粒のお米には七人の神様がいる」の神様は、私が思っていた七福神ではありませんでした。水、土、風、虫、雲、太陽、そして作る人の七つの意味があるそうです。
水、土…水豊富な水と栄養分の豊かな土は、稲が良く育つ水田をつくる為の水と土
風…1日しかない稲の開花しない間に受粉を行う為の風 
虫…虫はお米を食べる害虫の事ではなく、その害虫を食べる、トンボや蜘蛛の虫
雲、太陽…太陽の光と光を当てすぎない為の雲と太陽
作る人…昔は88の工程を経て米作りをした作る人の苦労
米を育てる米作りにはこの七つの要素が一つでも欠けてしまうと、お米を作ることは出来ないとのことでした。「お米を残すと目がつぶれるよ」や「罰があたるよ」など言葉は、食べ物を粗末にしないようにという想いでしょう。少し小さく見える祖母の背中も、私には今でも大きく見えます。
私は2年前、父を亡くした時から、兄、母の3人で米作りを行っております。父の大きな背中にはまだまだ追いつくことはできませんが、父がずっと見てきた景色を同じ目線で見られていることを嬉しく思っています。
現在では機械化が進み、昔の米作りに比べて楽になってはいますが、米作りの大変さや苦労は今も変わりません。だからこそなのか、くりーふのキャンプ等でお米を残している姿を見ると、いつもにこにこの“桃先生”も、「罰があたるよ!」と、祖母が乗り移ったかというくらいになってしまいます。その時は、何気なく当たり前のように食べていたお米も、子どもたちと、自然の恵みや作っている人への感謝の気持ちを持って噛みしめていきたいと思います。
Culeaf   桃 謙太

2019.9「本能を押し殺せ」

「もう、あいつらとは試合に出たくない。部活を辞める。」
この夏、息子たちの代になり、最初の大会に臨む直前のことだった。
気の弱い息子に呆れ、怒鳴りたい気持ちも抑えながら、息子を部屋に呼びだした。
「負けたら、全部俺のせいにされるんだ。バスケが楽しくない。」
涙をポロリと流しながら事情を話しだす息子。
ここ数年、区で上位に入ってきた息子の学校は、メンバー同士が叱責ながらもチームを引っ張ってきた。しかし、“プラスの声かけ”をし合えないと本当に強いチームにはならないと、変わろうとしていた時でもあった。
「やっぱり、あいつらは変わらない。俺はクラブチームに行く。」
しかし、なかなか変わらないチームの文化に我慢がならず、部活を逃げ出そうとしていたのだ。
チームスポーツで、誰かがミスをしたら、
「何やっているんだよ!ちゃんと取れよ!決めろよ!」
と感情的になるのは、誰もがもっている“本能”であると思います。それを押し殺し「ドンマイ」とプラスの言葉に変えるのは血気盛んな中学生には特に難しいものです。それに残念なのは、部活の顧問ですら、その本能を押し殺せず、暴言を吐いてしまう姿を対外試合でもしばしば拝見します。普段は言葉づかいや道徳を教える立場でもある先生なのに、勝負のかかったスポーツとなると先生も我慢が効かないのでしょう。
 私も先生ですが、親という立場になったとたん、そういった本能を押し殺せず息子へ叱責することもあり、反省することもしばしば・・・。それだけ本能には力があるとも言えますし、それだけ理性が必要とも言えます。
 人の本能は誰にも見られていない、誰にも注意されない環境で出やすいものです。社長は会社で、先生は部活や教室で、親は家庭で・・・。パワハラ、虐待の発覚が遅れるのもそのためでしょう。では、それらの事態を抑制するにはどうしたらよいのでしょう。残念ながら明確な解決策が専門家でも出ないので、これらの社会問題が消えないのだと思います。しかし、我が家では過去にこんなルールを作ったことがあります。
「“うざい!”と言ったら100円罰金!」
これは見事に成功し、家庭から“うざい”という言葉はなくなりました。

「みんな反省しているから部活に戻ってきて。マイナス発言はしないとルールを決めたんだ。」
チームメイトが弱い息子のためにルールを決めて救ってくれた。
先日の区民大会初戦。ミスが多く逆転される場面もある苦しい展開。息子のミスもあった。イライラしたと思う。そんな中、誰もキレることなくプラスの声をかけあった。プラスの声かけがどれだけ結果に結びつくのか楽しみなほど強くなった。そんなチームが優勝してほしい。

くりーふ まつい

2019.7[感謝の言葉]

「感謝」と聞くと思い浮かべるのは、「ありがとう」の言葉。「ありがとう」の言葉には心が温かくなり、自然と笑顔が溢れる不思議な力を持っていると思います。誰かに優しくされた時、海外では、ThankyouやMerciと返します。しかし、日本では「すみません」と頭を下げてしまう習慣がついています。実際に私も「すみません」が口癖になってしまっていると感じます。
「すみません」と「ありがとう」は同じ使い方の言葉ですが、受け取る印象は全く違います。「すみません」と聞くと、どことなく心が沈む印象を受けますが「ありがとう」と言われると照れくさいような、嬉しい気持ちになるような気がします。「すみません」の言葉を「ありがとう」に言い換えるだけでだいぶ印象が変わります。

私には、「ありがとう」の言葉を伝えたかった人がいます。
私が進路や上京で悩んでいた時も「自分の生き方だから」と温かく見守ってくれ、口数は少ないけれどいつも家族の幸せを願ってくれている頼りがいのある父です。私にも思春期や反抗期もあり、直接話をすることを“恥ずかしい”と思う時期もありました。そのもどかしさと、どうしようもできなく、ただもがいていたのが五年前の冬です。普通に過ごしている日常の中で私にかかってきた一本の電話は、
「お父さん、癌なんだって…。」
という、母親の小さな声でした。すぐに実家まで車を走らせ、息をきらす私に、父は、
「謙太、おかえり!酒でも飲むか!」
と、いつもと変わらない父親の姿がありました。“癌だ”という母親からの電話は嘘なのではないかと思いましたが、お酒を取りに行く母の背中はいつもより小さく、震える様子から涙を流していることが分かり、これは嘘ではないんだと実感しました。
「おとう、癌なんだわ。家族のこと頼むな。」
そう、笑顔で私の肩を掴む父の手はぶるぶると、私に伝わり、その震えが伝わる度に、我慢していた涙が零れ落ちました。それと同時に、癌の進行が進んでいることも感じ取られました。
それからすぐに、専門的に治療をしている大きな大学病院へ入院することになりました。お見舞いに行くと、どうやって家族を笑わせようとおどけてみたり、心配をかけまいと気丈に振る舞う父を見るたびに心がきゅっとしました。
腫瘍が大きく、すぐには手術が出来ず、抗がん剤や放射線治療を繰り返し、日に日に弱っていく父。農業で鍛えられた逞しい腕も子どもの腕のように細くなっていきました。それでも父は変わらずに家族のことを一番に考えています。そんな父に、私は目を合わせることもできなくなっていきました。
治療を始めて半年、無情にも父の癌はリンパに転移していた為、脳や全身に転移し手の施しようがありませんでした。
「家に帰って、昔のようにみんなで母ちゃんの作る冷や麦が食いたいなぁ。」
そういう父の願いを叶えるため、母親が看護師、兄が介護師ということもあり、実家での治療を行うようにしました。私もできるだけ父との時間を作る為、一人暮らしの家を離れ、実家から仕事に通うことにしたのです。
仕事でどうしても家に帰れず、その日は会社に泊まることになった日の事です。母からも、「お父さんは安定しているし、頑張っておいで。」と送り出してもらいました。そんな中、夜中に携帯が鳴り、姉から泣きそうな声で「お父さんが危ない!」と言われ、急いで病院へ向かいましたが、父と最後に会うことが出来ず、父に何も伝えることができず、ただただ声を出して泣くだけでした。
闘病生活の中でも「ありがとう」を伝える機会はあったはずなのに。気恥ずかしさや、これを言ったら目を閉じてしまうのではないか、もっと生きてほしいという願いもあり最後まで「ありがとう」と感謝の言葉を伝えることが出来ませんでした。父の葬儀の日、伝えきれない「ありがとう」を手紙に書きました。その時の悔しさや後悔は二度と経験をしたくないし、可愛い子どもたちにも経験をさせたくありません。
 「ありがとう」の感謝の言葉ももちろんですが、自分の気持ちを言葉にすることは大切なことです。“好きだよ”と思っていても、やはり言葉にされると嬉しいものです。直接相手に伝えられることの幸せ、そして、今しか言えない“想い”を声に出す大切さを子どもたちに伝えていきます。

くりーふ  桃 謙太

2019.7「そっと手をあてる」

「そのうち、これくらいの痛みはとれるだろう・・・」 
そう思い、昨年末ちょっとしたトレーニングで痛めた肩を放置していました。しかし、数ヶ月経った春にも痛みがとれず、以前ある方からご紹介いただいた「オステオパシー療法」を行う富士見台の療術院に行ってきました。
 オステオパシー療法とは、簡単に言うと、筋肉を強く揉んだり、骨を強い力でボキボキと整体するのではなく、骨にそっと手をあてて根本的な痛みの原因を治す療法です。強く揉んだりすると、その時は気持ち良くても、その反動で余計に筋肉が硬くなることがあるので、強い力はまったく使わないのです。また、身体の治癒力を引き出すとのことで、月に1、2度の通院で改善します。
 今回も背骨からそっと手をあてて治療が始まりました。一つ一つの骨を数分間ずつじっくり触るように1時間以上かけての施術。
 「少しは痛みがとれたと思いますが、しばらくたったら痛みがなくなると思います。」
先生がそう言って治療が終了しました。先生の予告通り、今回も1回の通院で数日後には痛みがとれました。
そんな治療を受けて、子育てとの共通点を見つけました。子どもに
「勉強しないさい!」
「片付けなさい!」
と強要し、その時はできたとしても、根本的に治ることはなく、時には揉み返しの様に反動があり逆効果になることさえあります。人に治癒力があるように、子どもも
「知らないものを知りたい!」
「できないことができるようになりたい!」
という本能を持っています。その力を引き出すために、その力をなくさない為に、放置するわけでも、強い力をかけるのでもなく、我慢強く時間をかけてそっと背中に手をあててあげることが大切なのでしょう。
「では具体的にどうしたらいいの?」
と聞かれそうですが、子どもにしてあげるべきことで絶対の成功方程式はありません。しかし、絶対だめだと言えることは力を入れすぎることです。子どもの為と思って力を入れすぎるのは避けましょう。
教育虐待という事件がこの世から消えますように。

Culeafまつい

2019.6「脱孤独」

また、痛ましい事件が起きてしまいました。原因の一つとしてメディアでも問われる孤独。そして、その度に問われる子どもの安全と教育。
私は20代のころ防犯機器の営業をしていましたが、物理的な面でも経済的な面でも人間の起こすこのような事件を完全に防ぐことは難しいと感じていました。特に人の憎悪や嫉妬などの感情は人に話せないことも多く、孤独であればあるほど自分の中で勝手な解釈も加わり増幅していくのです。孤独の是非が問われていますが、やはり集団生活を何千年も前からしている人間が孤独を是とするべきではないと私は思います。
では、脱孤独に対して出来ることはなにか?
一つの手段は壁をつくらないことではないでしょうか。人と人が同じ空間にいることが大切です。そして、その状態を居心地よく思えるようになること、育つこと、育てることが大切だと思います。
 壁は物理的な部屋の壁はもちろんですが、私にはSNSも壁の一つだと思います。私も高校生・大学生の頃は、自分の部屋が居心地よく、部屋にいることも多かったですが、部屋にいると家族とのコミュニケーションが「お腹が空いた!」「ごはんは何時か?」「明日は部活で飯はいらない。」など主張や報告だけになりやすく、希薄化します。SNSも主張や報告が多く、SNSで突然「今日はいい天気だね。」とだけ送る人はいないと思います。しかし、同じ空間にいると、「今日暑くない?」など、たわいない会話もあるでしょう。また、SNSは現在では中高生にもなるとコミュニケーションの一つとして、やってなければ仲間はずれの対象にもなることがあるようですが、SNSは主張が多いため解釈の違いによって誤解という壁をつくってしまい、いじめにも発展します。大人の世界でも会って話をしていれば、この様ないざこざにはならなかったのにとLINEで送ったメッセージを後悔することはないでしょうか。SNSは世界中の人と人をつなげ、壁を越える素晴らしいツールでもあるので、世の中からなくなることはないですが、子どもたちには、まずSNSの様なものに頼らず、身近な友達と会ってたあいもない話をすること、同じ空間にいることが楽しいと思えるように育ってもらいたいものです。

 この夏、くりーふも120名を超える子どもたちにキャンプに参加してもらいます。毎回、私が見る嬉しい光景は、子どもたちが海遊びや川遊びで水をかけ合っている姿よりも、知らないもの同士だった子どもたちが仲良くなって「また、次のキャンプで会おうね!」と握手をしたり、肩を組んだりして、声をかけ合っている姿です。壁を壊す喜びを分かち合っているかのようです。リーダーたちも同じ空間で寝食を共にし、大広間にいる大家族のような感じになります。
「空気が美味しいね!」
同じ空気を味わい、こう言えるためには壁をつくらないことではないでしょうか。

Culeafまつい

2019.5[人間本気になれば大差なし]

この言葉は、私が先生になるきっかけになった言葉でもあります。「人間本気になれば大差なし」どんなに強 い相手だろうと、本気になれば勝てない相手じゃないというこの言葉と出会ったのは、中学校に入学をして陸上 部に所属をした時でした。中学の 3 年間は、勉強そっちのけで陸上漬けの生活、ここまで本気になって陸上競技 に取り組めたのは、この言葉を言い続けてくれた恩師がいたからだと思っています。私もこの恩師のように本気 で子どもたちと向かい合いたいと思い、教育の道に進みました。
私も幼稚園の先生”として、子どもたちの前に立つ日が来ました。幼稚園の一大イベント。保護者の方も子ども たちの成長を見ては、涙する運動会。その練習は1,2か月と練習を続けていく中で、全員リレーの練習ではい つも最下位、子どもたちから、「△△組は○○君がいるから勝てないや!」と、他と比べ、他人を責めるばかり で、クラス全体が諦めモードになっていました。

私の中に浮かんだ言葉は、
“人間本気になれば大差なし”
子どもたちに自然と同じ言葉を伝えていました。 この言葉の意味を子どもたちに伝えると、自由時間にバトンパスの練習をする子や、「リレーの練習しよう!!」
とひとりの子が声をかると、みんながその練習に加わる姿が見られはじめ、クラスが1つの目標に向かって本気 で取り組み出した瞬間でした。
本番では大逆転勝利!その時の子どもたちの笑顔は達成感に満ち溢れ、キラキラとした笑顔。今でも忘れませ ん。私の柱となっているこの言葉が伝わり、行動をしてくれた子どもたちの姿が嬉しかったことはもちろん、何 よりも子どもたちに無限の可能性を感じました。
Culeaf の子どもたちも、これから大きな壁にぶつかる時が来るかもしれません。子どもたちは必ず、その壁を 乗り越えることが出来ます。保護者の皆様と一緒にその背中を押していきたいと考えております。私も子どもた ちの心に残る先生となれるよう、子どもたちと本気で向き合って参ります。

桃 謙太

2019.5「チャリン チャリン」

連休の早朝。家の周りで年長の三男のつかさと二人だけの時間。
「幼稚園で俺だけまだ乗れなかったんだよー」
大家族の中で生きていくために大きな声を身につけたつかさは、近所迷惑になるくらいの大きなしゃがれた声で、達成感に満ちた笑顔。
長男の時は同級生に遅れをとらないかと心配で、時間を割いて練習をした記憶がある。三男ともなると、ほったらかしになることが多いと反省と罪滅ぼしの意味もあり、この連休の朝に時間をつくった。

「学校の周りを3回こけずに回れたらレベル1クリアね!」
「よ~し!やってやる~!うお~!」
テレビアニメの見過ぎか、何かの主人公の様なセリフを吐くつかさ。道中、2回こけたときも、
「男はあきらめないぞ~!」
と、きっとテレビの影響。
翌朝も私の寝ているベッドの下からもそもそと入ってきて、
「お父さん朝練しよう~。レベル2はどんなことするの?」
「レベル2は、幼稚園まで行ってみよう!」
連休最終日には、近所の公園を4つ巡り、レベル10達成に、ご満悦な様子。

「レベルアップ!」は特に男の子には有効な魔法の言葉。
親ができることは、子どもが上りやすい段差のレベルを設定してあげることでしょうか。
あとは、ゲーム感覚も大事。
 「チャリン!チャリン!」
今日も朝から近所にしゃがれ声。
 「マンホールを踏んだら、コインがもらえるよ!」
リアルなマリオゲームを楽しみます。

Culeafまつい

2019.4「母の言霊」

「お母さん、お友だちと遊んでくる」

てくてくと二人乗りの遊具に乗っている親子に近づく2歳の娘、香芽。

遠目で見ていると、何かを話しかけている。口の動きからみると

「いっしょに遊ぼー。」

と言っているようだ。

しかし、その親子からの反応がまったくない様子。娘が困った顔でこちらに目をくれたので、遊具に近づきそのお母さんに会釈をすると、

「この子、新しい子がだめで、人見知りするんです。」

その後も、ブランコに移動したその子に健気に近づくも、お母さんが我が子を守るように側にいて、相手にされない。まるでボディーガードのように。

 

その子が、人見知りになったのは確かかもしないが、そうさせたのはそんなお母さんの対応ではないかと考えてしまう。恐らく一人目の子で、我が子に嫌な思いをさせたくないから、無菌室に入れるように育てたのかもしれない。

しかし、そのお母さんを責めることはできません。私も長男が幼い時、外遊びした後は除菌シートやスプレーで除菌をし、足が遅く身体の小さい息子の困る顔を見たくないので、ボディーガードの様に見守っていました。それだけ一人目の子は、心配になるのが親として当然でもあります。

「この子は新しい子がだめな子。人見知りなの」

と耳に入る距離で言われ続けられた子は、将来もそれを引きずってしまうのではないでしょうか。それだけ母の言葉は言霊となり、子どもの中に生き続けます。

私は母に「やればできる!」と言われ続けました。普段は部活しかしない子でしたが、高校受験、大学受験で頑張れたのはその言葉があったからだと思います。

親は我が子が出来ていないことに目がいきますが、子どもには可能性がたくさんあります。

「やればできる!」

これは、“今は出来ないけど、頑張れば出来るようになるよ”と上向きな良い言霊。

母の言葉は、言霊です。残してあげたい言葉を根気よく伝えていきましょう。

Culeafまつい