過去コラム

2020.5「はじめまして!中桐です。」by中桐義博

はじめまして。この4月よりくりーふの一員として参加することになりました、中桐(なかぎり)と申します。

ゴールデンウィークミッションは私からの課題でした。皆さん楽しんでいただけましたでしょうか?今後もいろいろ楽しみながら賢くなるイベントを実施してまいります。ご期待ください!

 

この20年で世界は大きく変化しました。世の中の変化はインフラ・生活環境などだけでなく、あらゆる分野で起きています。教育業界においても、この数年間、大学受験の改革に伴い、小・中・高校における教育改革が進められてきました。そして今、コロナ禍によりこれまでにないほどの大きな社会変化が起ころうとしています。これからどのような変化が起こるかは誰にも予想できません。しかし、どのように変化したとしても、今の小・中・高校生はそれに対応していかねばならないという現実があるのです。

 

コロナ禍による変化の動向は今後も注視していかなければなりませんが、この数年間で起きている社会・教育現場の変化とはITの進化が要因です。具体的にいうと、IOTとAIの活用が本格化してきたことです。

これらの台頭により社会・教育が変化し、それに伴い、今後求められる人材・能力も変わってきています。そして、今後はさら今までの教育で教えられてきた知識力・記憶力・処理能力の上に、発想力・発信力・魅力、さらに思考力(判断力)が求められるようになるのです。この来るべき次世代で求められる能力を持つ人材を育てることが、我々に求められる指導力であると私は考えており、実践してまいります。

 

私はこれまで塾業界で20年以上、のべ3000人以上の学生を指導してまいりました。直近の10年間は中学受験塾で教室長を担当し、東京・神奈川の御三家・早慶など多数の合格者を輩出してきました。私がくりーふの講師に加えていただいたのには理由があります。

くりーふの教育理念は「手を挙げて発表できる子を育てよう」です。「手を挙げて発表できる」ようになるためにはどうすればよいのでしょうか。

まわりに人がいる中で発言するためには自分の考え・答えに「自信」が必要です。では、「自信」をつけるためにはどうするべきなのでしょうか。それは「相手の質問をよく聞き、求められていることを正確に理解し、しっかりと考え、答えを出す」ことです。これらを意識して普段から訓練することで、自信を持って、「発表できる子」が育つのです。

この「発表できる子」とは、これからの社会が求めている、知識力・記憶力・処理能力という基礎学力の上に、発想力・発信力・思考力という能力が備わっている証拠なのです。そして、くりーふが追求する「手を挙げて発表できる子」こそが、これからの社会が求める人材であり、そのメソッドがくりーふの指導にはあります。

このように世界・社会を担う子どもたちの可能性を最大限広げられる指導がくりーふにあると感じ、また、我々の指導はこれからもっと発展できると思い参加させていただきました。

 

最後に、私はこれまで、小学校受験、中学受験、高校受験、大学受験と全ての受験で指導を経験してまいりました。学習指導だけでなく、今後は最新の受験・学校情報、教育現場の実情など様々な情報を皆様にお伝えしてまいります。また、今までの経験から子どもたちを短期的な視点だけでなく、数年先まで見越した長期的な視点で指導・アドバイスすることができると思います。お子様の生活・学習・進学・将来のことでお悩みのことがあれば何でもご相談ください。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

中桐 義博

 

 

2020.5「子どもの言葉がプレゼント」

「俺、花買ってくるわ!」

普段、誰よりもお小遣いを使い込んでしまう5年の次男が、母の日を前に言い出した。

「お母さんは、花よりお手伝いとかしてくれたほうが喜ぶでしょ!?」

日常、家事に追われる母の為にと、長男がそう提案したが、母から

「私は花を貰えるのは嬉しいよ」

との言葉を聞いて、次男は

「やっぱり俺、買ってくる!」

と自分の部屋に駆け上がり、すかすかの貯金箱から200円を片手に握りしめて家を飛び出した。しばらく経って、次男が息を切らしながら玄関から入り階段をまた駆け上がりながら、

「はあ、はあ・・。 足りなかった!308円もするとは。」

と残りわずかとなった貯金から不足分を持ち出して、また家を飛び出していった。

再び帰ってきた次男の片手には一輪のカーネーション。

「ラッピングにもお金がかかって、またお金足りなかったんだけど、お店の人がおまけしてくれた!」

と嬉しそうに母に渡していました。

 

母の日の夜、今度は3歳の次女がお母さんのところに来て、

「かたくりこしてあげる! かたくりこ!」

と言いながら母の肩を叩いてくれたそうです。

お母さんにとってはカーネーションというより、「俺買ってくるわ!」という言葉、肩たたきをしてくれたことよりも「かたくりこ」と言い間違えたユーモアが、印象に残るプレゼントだったようです。

「今日は母の日だから、花をテーブルに持ってくる?!」

と、夕食の時、その花を母のお皿の近くに持ってくる行為も、愛おしいプレゼントだったようです。

 

緊急事態宣言が延長され、多くの方が窮屈で不安な日々を過ごしているかと思います。テレビをつけてもコメンテーターが様々な意見を述べ、その言葉に一喜一憂し、何を信じていいのか不安になることさえあるでしょう。しかし、そんな生活の中でも、子どもの言葉には癒され、励まされます。

ステイホーム生活もあと3週間でしょうか。この機会に、いつも以上に子どもとの時間を大切にしたいと思います。

 

紫のカーネーションを見て、一年生の三男が、

「むらさきって、英語でなんて言うんだっけー・・・」

「あ、思い出した!・・・ パワフルだ!」

と笑いの神様が降りてきてくれました。

 

Culeaf まつい

2020.4「生み出す力」

我が家にまた家族が増えました。

コロナの影響で生活スタイルや価値観までも一変され、長男はあれだけ毎日練習していたバスケもお休み。小学生達はテレビを見るなど、ゴロゴロする日々が増えています。私も過去最高の体重を記録するなど、ネガティブなことが多い1ヶ月。

そんな中、明るいニュースとして家族が増えたのです。

「かわいい〜!」

今まで妹弟、アイドル、女優を見ても決して言うことがなかったワードとテンションで長男がニタニタしながら叫んでいます。父親としてはそんな息子に少し引きながらも彼の部屋に入ると、そこにはランドセルより少し大きいサイズの水槽が学習机に置かれてあり、中には魚。そう、グッピーが私の知らない間に飼われていたのです。

それから数日後、

「ジュリーは下にいる?!」

また、不可思議なやりとりが子どもたちで行われています。まさか沢田研二がいるわけもないと、一階に降りると、そこには更に大きいサイズの水槽が設置されており、グッピーの他にコリドラスジュリーという魚がいました。聞くと、食べ残しの餌を食べるお掃除役だそうで、私の知っているジュリーとは真逆の世界にいる魚でした。

「生まれたよ〜!」

妹弟までもが水槽にかじりつき、新しく生まれる稚魚の誕生を喜んでいます。

幼い頃から釣りが好きで、魚が好きなのは知っていたのですが、自分のLINEのアイコンをバスケからグッピーに変えるほどとは思っていませんでした。彼の中からグッピーを生み出したのは、このコロナ自粛の影響だと思います。毎日部活に追われていては出来なかった行動かもしれません。

この長い休みの中、きっと子どもたちは自ら楽しみを生み出していることだと思います。これだけ長い時間工作ができる日もなかなかないでしょうし、ジグソーパズルや難しい折り紙にだって挑戦できます。子ども達は何もなくても楽しみを生み出す力が本来あるのです。完成された楽しみが詰まっているテレビやゲームばかりしていてはその力は付きません。この機会に、楽しみを生み出す力を引き出してあげたいですね。

 

「将来、魚のペットショップ屋もいいんじゃない?!」

冗談でそう言ったら、意外とまずまずな反応。

バスケの選手になりたい夢はどこへやら。

Culeaf まつい

2020.2「おまけ」

「もしもし、そうたです。」

「久しぶりだなー。どうした?」

くりーふに6年生まで通い、今は中学3年なったそうたから電話があった。私の携帯にはすでに登録していたので、そうたからの電話だとすぐにわかった。

「あ、あのー。一応、一校受かりました。」

「おお〜!そうか、よかったな〜。わざわざ報告ありがとうな。嬉しいよ!」

「あ・・・はい・・・。」

私の高いテンションに合わせることなく、思春期特有の低いトーンで、ぼそぼそと話すそうた。でも、私にはそんな大人になったそうたがわざわざ報告してくれたことが余計に嬉しかった。どこに受かったかは聞かなかったし、そんなこと関係なかった。

 

話は変わりますが、私は最近、日曜劇場の「テセウスの船」とうドラマを観ています。その第一話に印象に残ったセリフがあった。賑やかに3人の子育てをする警察官のお父さんが温泉に入りながら言った一言。

「家族と笑っていられたら、それ以外は“おまけ”」

親としてなんて原点回帰できる言葉なのだろうと、“おまけ”が心に深く染み込んだ。

 

親としては、学業の成績や、スポーツや習い事の戦績や結果が気になり、ハラハラ、イライライもすることもあるし、ひょっとしたら子ども自身より親が一生懸命になっていることもある。ただ、そんな事は人生の“おまけ”でしかないと思わないといけないのです。子どもが笑って過ごせていたら100点。親としても100点です。むしろ、子どもたち家族が笑っていないのに、成績や戦績、結果ばかり気にしていても奇妙な話です。

今回の件も、そうたがどこの高校に受かったかなんて“おまけ”でしかないのです。勉強嫌いだったそうたが、勉強に関わることを報告したこと自体が主なのです。

今月から受験結果がたくさん出てくる時期。親としても子ども自身も、一生懸命してきたことだから、ハラハラもすると思うし、喜びもあれば、悔しさあるでしょう。だから軽視することは決してできませんが、それは人生の枠で考えた場合、あくまでも“おまけ”の部分あることを忘れないようにしたいですね。

そんな結果より、家族で笑って過ごせていること、人に感謝する心、が主であります。

お菓子についてくれる“おまけ”は楽しみだったしょう。だから“おまけ”は“おまけ”として楽しめばいい。“おまけ”のために、主を捨てるようなことなど決してないように、親として肝に命じたいですね。

Culeaf まつい

2020.1「羽子板」

「サンタさん、ぼくの欲しいものをください。」

クリスマス1週間前に手紙を書く年長の三男つかさ。この手紙をみて、欲しいものを値段気にせず手紙に書く子がいる中、なんと欲のない子に育ったのだろうと、親としても感心しておりました。一方、

「お父さんにダメと言われても、もう一度チャレンジする!」

と今年も

「サンタさん、ぼくに任天堂スイッチをください」

と手紙に書く次男の顔は何とも言えない欲望に満ち溢れていました。

 

クリスマス4日前、弟達の心理をよくわかっている兄と姉が、

「つかさは本当はスイッチが欲しいでしょ〜?!」

と、突然尋問を始めました。

「え、え・・・・別に。」

と動揺を隠せない三男。

「手紙にスイッチと書くと、お父さんからサンタさんに反対されると思っているので、“欲しいもの”とだけ書いたのでしょ?!」

鋭い兄と姉のツッコミに、白状するしかなくなったつかさの顔は、次男と同じ欲望に満ち溢れた顔になっていました。

三男は毎年素直に

「任天堂スイッチが欲しい」

と書いてお父さんからサンタさんに

「それは持ってこないように」

と、お願いされていると思ったのでしょう。お父さんには分からないように、

「ぼくの欲しいもの」

とだけ手紙に書いてサンタさんに心を読み取ってもらおうとしたようです。狙いがバレてしまった三男は、

「青いラジコンをください」

と叶いやすそうなものに直前で手紙を変更。

 

クリスマスの日の朝。ドスドスと階段を降りていく音は、ドキドキした子動揺のようにも感じます。

大きい箱を見つけ

「俺、ラジコンだからこれだ!!」

と玄関から持ち運ぶ三男。

「名前が書いてあるよ」

と妻が伝えると、プレゼントを間違ったことに気づき、名前の書いてある包装紙に包まれたを持ってきました。今年はどんな反応を見せるかな、と心配しながらもその様子にカメラを向けます。

「あ、羽子板だ! ぼくの欲しかったもの!」

「羽が4つも付いている!!」

結局、何でも喜んでくれるんだなと、今年もひと安心なクリスマスでした。

次男に届いたのは、今年もWiiのソフト。チャレンジ失敗するも嬉しそうでした。

 

くりーふ まつい

2019.12「観てあげること」

「あなた、今度の日曜日のみれいの試合に車出しをしてくれない?」

「みれい、『お父さんが試合に引率してくれない』って、この前、寂しそうに言っていたよ。」

胸がギュッと痛む衝撃だった。

半年ほど前、娘に

「お父さんが来たら、色々言われそうでいやだ。」

と言われたので、あまり練習にも試合にも顔を出していなかった。思い返せば、

「中学に入ったらバスケ部に入るの?ダンスだけ続けるの?」

との質問にいつも

「わからない。」

と答えていた娘が、11月初旬に突然

「バスケ部に入るよ!」

と、突然言い出し頃がターニングポイントだったのかと、自分の鈍感さを反省した。

 

試合当日、キャプテンのお母さんから

「みれいちゃんが昨日『明日はお父さんが車を出してくれるんだ!』と何度か嬉しそうに話をしていましたよ。」

と伺った。6年にもなる娘がそんなことを言ってくれていたとはと、嬉しくもあり、もっと早く気づいてあげればよかったと、胸が熱く痛くなった。

 

「上手くなったね!」

試合後は、長男の時に言いすぎた注意もせず、試合後にこの言葉をかけたくらい。

家に帰ってからも

「ハイライトをつくって!」

と家族にも観てもらいたい娘。

 

子どもによってどこまで叱咤激励を受けたいかはそれぞれでしょうが、努力して結果が出てきたときは

観てもらいたいのは皆同じですね。

これからも、娘には(嫌われない為にも)口出しするのではなく、観てあげる応援を続けてあげます。

 

くりーふ まつい

2019.11「保身でしか動かない人」

しょうたは中学校に入り、自分の背の高さを活かそうとバスケ部に入部するも、顧問があまり部活に顔を出さず子ども達だけでの練習が多い為、部活を辞めてバスケをもっと教えてもらえるクラブチームに入ることにした。クラブチームは部活を辞めた子、部活に入らなかった子が集まり、地域の体育館を借りて活動している。

しょうたがクラブチームに入って半年が経ち、自分の学校の部活チームの大会があったので、元チームメイトの応援をしようと、会場に向かった。しょうたは会場にいても背が高いので一際目立つ。その時、遠くにいる部活の顧問と目があった。明らかにしょうたのことを睨んでいる様子。そのまましょうたの目の前まで来て、

「お前はバスケ部を辞めた人間だろ!勝手にここに来るんじゃない!!」

「あ、、、すみません。来てはだめだったのですね。知らなかったです。」

「だめに決まっているだろ!学校のルールだ!」

恫喝とも思える剣幕な様相で、中学生に詰め寄る教育者の様子に、同行していた保護者の方が、

「私が息子の試合を観にきてほしいと、誘ったのです・・・。すみません。」

と言っても、

「お母さんたちは関係ないんです。こいつが悪いんです!」

と、周りの誰もが恐怖を感じるような言動で、しょうたは詰められ萎縮し、会場を出ることになった。

精神的ショックを受けたしょうたを見て、同行していた保護者の方が教育委員会に通報し、教育委員会からしょうたの中学の校長に連絡が入り、校長としょうたのお母さんは面談することになりました。とことろが、

「うちの顧問はそんな言動をした覚えはない。と言っている。」

「では、他校の保護者の方ですが、証言者に来てもらっているので入室してもらってもいいでしょうか?」

「私は他校の人の話なんて聞く気がない!」

と校長は真実を探ろうとせず、顧問や学校の保身にまわったのです。

 

これは私がつくったノンフィクションのお話です。名前などは実名ではありませんが、学校ぐるみで揉め事を隠蔽しようとする傾向が見えた一幕です。今までも教育委員会に先生としてあるまじき言動が数々通報されているようですが、改善の兆しがないのをみると、教育委員会ですら

「校長、こんなクレームが来ていますので、気をつけてくださいよ。」

と伝えるくらいの機関でしかないかと疑うほどです。

 

「動画を撮った人がいたようです。」

後日、しょうたのお母さんが、そう校長に伝えると顧問や校長の態度が豹変。

「顧問も事実を認めたみたいです。今後同じことがないように厳しく指導します。」

SNSなどに掲載されると怖いと思ったのでしょうか。保身でしか動かない人になってはいけません。

くりーふ まつい

2019.10[3人目になるためには…]

私は、先日、子どもたちに紹介したい書籍を探すため、書店に立ち寄りました。そこで、知人に勧められたイソップ童話があったことを思い出し、「3人のレンガ積み職人」という本も探すことにしました。その本を手に取ると、幼き頃の自分と重なる点があると感じる物語で、吸い込まれるかのように自分の中に入っていきました。今回は、その物語を皆様にお伝えしようと思います。

世界中を旅している旅人が,汗を流してレンガを積んでいる3人の男に出会ったことから始まっています。
旅人は、3人の男に「ここでいったい何をしているのですか?」とたずねました。すると3人は、それぞれ答えました。
1人目の職人は、「見ればわかるだろう。レンガ積みをしているのさ。」
2人目の職人は、「ここで大きな壁を作っているんだ。大変だけど、賃金が良いからやっているんだ。」
3人目の職人は,目を輝かせてこう答えました。「歴史に残る、大聖堂の建築に貢献しているんだ。」
同じレンガを積むという作業でも、その向き合い方により、作業の意味が大きく変わることが分かります。1人目の職人は、自身の仕事に全く目的を持っていません。2人目の職人は、生活のためという目的は明確ですが、賃金以外の部分に価値を見出していません。一方で、3人目の職人は、見返りを求めるのではなく、大きな視野と「後世に残る立派な大聖堂を観てほしい」という、高い目的意識を持てていますね。
同じ作業でも、目標や使命感を持つことで、その取り組み姿勢に大きな違いが生まれることもわかります。
私には、一番目の職人と同じ様な経験がありました。それは、小学生のころ所属していた少年野球チームでのお話です。野球のルールも知らず、見るのも好きではなかった野球。ただ、クラス全員がやっていたからという、安易な考えで所属をさせられ、目的や目標もなくやっていた為、練習にも身が入らず、毎週の練習をこなすことしか考えていませんでした。結果六年生まで続けた野球で得た物は少なく、苦痛であった想いしか残りませんでした。自分の意志で始め、目標をもって取り組めた、中学の陸上や、高校・大学でのバレーボールで得たことのほうが、何倍も何十倍も大きいと感じました。
子どもたちが取り組む日々の勉強や学級活動等にも、同じことが言えるのではないでしょうか。どんなことでも、自分の“意志”を持って取り組むことは大きな成長に繋がります。くりーふも、「僕が行きたいんだ。」という意志を持てるよう、子どもたちと関わっていきたいと、改めて感じました。
どんな人も、3人目の職人のような子になって欲しいと願うことでしょう。そのためには、時には理由を考えることも大切でしょう。“なぜ”“どうして”と考えること。きっと3番目の職人は、自分でやる意味を見つけやりがいを感じたのかもしれません。でもその考えが前向きなのは、きっと育った環境もあるはずです。周りの大人から言われた言葉や考えがポジティブだからこそ、彼はどうしたらみんなが喜ぶのかを知っているのです。与えられたこと、そこに意味を見つけやりがいを感じる。子どもたちが大人になって仕事をするときに思い出してほしいと感じました。人生の先輩として…。

桃 謙太

2019.10「他人の子を叱れますか?」

先日、光が丘体育館でミニバスの練習試合がありました。ミニバスでは保護者の引率義務があり、6年の長女と4年の次男が所属するチームは6年保護者が引率する慣わしがあり、その日は妻が女子の引率。私は下の子二人を連れて、久々に長女次男の成長を観ようと光が丘体育館まで足を運びました。
到着すると、ちょうど女子の試合。ギャラリー席には男子メンバー。しかし、男子メンバーは女子を応援することもなく、試合を観ることもなく、ケラケラと笑い声を上げたり、歌を歌ったり、挙げ句の果てには「fuck you!」と叫び笑っている子もいます。男子チームは昨年まで2年間、練馬区で優勝するなど区外からも注目されるチーム。ここまで代替わりして文化が変わるものかとショックを受けながらも、私は男子チームの中では所詮4年生の保護者。6年生の保護者を差し置いて彼らを注意するのも出しゃばりかと思い、静観していましたが、5・6年生の保護者も注意しないまま試合が終わりました。
「あ、もう女子試合終わったんだー。どっちが勝ったの?」
「次は男子の試合だぞー。あ!俺ユニフォーム着替えてなかった!わはははは!」
 こんな状態で男子の試合前のウォーミングアップが始まりました。まずはレイアップシュートを打つアップですが列を成していないどころか、3ポイントラインからボールを野球の様に投げる子もいて、まるで小学校の中休み。他のチームにも見られています。変わり果てたチームに落胆し、同時に怒りがこみ上げてきました。
「あまりにひどくないですか?なぜ注意しないのですか!?」
試合後、6年男子の引率保護者に私も詰め寄りました。
「私たちも何度も言っているのですが、彼らが聞かなくて。」
と、お母さん達も成す手がない様で、どこか諦め模様。近くにいた5年生のお父さんにも
「なぜ叱らないのですか?」
と聞いても、
「ああ、、、うう・・・」
と、どうしたらよいか分からない反応。
なぜ、ここまで大人が叱ることをためらっているのか理解に苦しんでいるとき、女子チームの引率だった妻から、
「あなたが叱ってよ!」
と背中を押され、結局、私が出しゃばり、保護者代表で男子全員を集め、数分間説教することになりました。また、堕落した練習の様子も録画したのでYouTubeにあげて全体LINEに流し、保護者全員に共有と家庭教育をお願いしました。当然、私の行動に反発する人も出てくると覚悟の上でしたが、反省や賛同をして連絡をくれたのはたったの3名のお父さん。私が小さい頃は、近所のおじさんおばさんによく叱責されました。親も我が子が他人から叱責されることにも慣れていました。現代は、他人の子を叱責できる大人が少なくなり、他人に我が子を叱責されることに抵抗を持つ大人も多くなったのでしょうか。情けない。私はその子のことを思ってこそ、叱れます。叱らずに育てる?そんなの無理です。叱らずに子育てなど出来ないのです。

くりーふ まつい

2019.9[一粒のお米には七人の神様がいる]

(米)という漢字は、八十八と書きます。なぜこの様な漢字になったかと言うと、昔お米を作るまでに88行程の作業があることから、その行程を用いて、(米)という漢字が生まれたと言われています。
私の実家は農家であり、先日、我が家でも稲刈りを終え、新米が仕上がり、広い田んぼを前に、秋の実りを実感しホッとしていました。いつも変わらないこの風景を見ていると、幼いころのことを思い出しました。
私の家は、両親が共働きだったこともあり、祖母が食事を作ってくれることが多くありました。私は末っ子であり、どんな時も「謙ちゃん、謙ちゃん。」と優しい祖母ですが、そんな祖母にも末っ子パワーが通じないことがあります。それは、ごはん茶碗に一粒でものお米がくっついている時です。
「一粒のお米には七人の神様がいるんだよ!」
「お米を残したら目がつぶれるよ!」
と、少し怖いことも良く言い聞かされていました。近くで農作業をする姿を見ていたからこそ、幼心に“お米を粗末にしてはいけない”とは分かっていても、「七人の神様がいるって、七福神のことかな?だったら会ってみたいな!」など、当時は祖母が伝えたいこととは全く別のことを考えていましたし、祖母の想いを知ろうともしていませんでした。

そんなことを思い出しては微笑んでいると、ちょうどそこに祖母がいたので、この話をすると、祖母も笑いながら、理由があって私に言っていたと、話してくれました。
「一粒のお米には七人の神様がいる」の神様は、私が思っていた七福神ではありませんでした。水、土、風、虫、雲、太陽、そして作る人の七つの意味があるそうです。
水、土…水豊富な水と栄養分の豊かな土は、稲が良く育つ水田をつくる為の水と土
風…1日しかない稲の開花しない間に受粉を行う為の風 
虫…虫はお米を食べる害虫の事ではなく、その害虫を食べる、トンボや蜘蛛の虫
雲、太陽…太陽の光と光を当てすぎない為の雲と太陽
作る人…昔は88の工程を経て米作りをした作る人の苦労
米を育てる米作りにはこの七つの要素が一つでも欠けてしまうと、お米を作ることは出来ないとのことでした。「お米を残すと目がつぶれるよ」や「罰があたるよ」など言葉は、食べ物を粗末にしないようにという想いでしょう。少し小さく見える祖母の背中も、私には今でも大きく見えます。
私は2年前、父を亡くした時から、兄、母の3人で米作りを行っております。父の大きな背中にはまだまだ追いつくことはできませんが、父がずっと見てきた景色を同じ目線で見られていることを嬉しく思っています。
現在では機械化が進み、昔の米作りに比べて楽になってはいますが、米作りの大変さや苦労は今も変わりません。だからこそなのか、くりーふのキャンプ等でお米を残している姿を見ると、いつもにこにこの“桃先生”も、「罰があたるよ!」と、祖母が乗り移ったかというくらいになってしまいます。その時は、何気なく当たり前のように食べていたお米も、子どもたちと、自然の恵みや作っている人への感謝の気持ちを持って噛みしめていきたいと思います。
Culeaf   桃 謙太